バングラデシュで苦悩し、譲れない価値観と決意に 辿り着いた京大生(3/3)

3回シリースで掲載しておりました国際協力に興味のある京大生が、単身バングラデシュへ飛び、自らの進みたい道を見つけ出した話の最終話です。自らの足を使い、現地の方々が何に困難を抱えているのかを調べた上で、自分がやりたいと思える事を行動へと移さている素晴らしいアントレプレナーです。
1回目の記事

2回目の記事

新たな出会い

行動に移すと決めた私はまず、ストリートチルドレン達とコミュニケーションをとることから始めた。彼らのことを知らずには、意味のあることは何もできないと思ったからだ。少しでも知れば、ほんのわずかでも彼らのためになるようなことができると思っていた。ところが、その考えは甘かった。実際は、知れば知るほど、自分の無力さを突き付けられ、ますます現実から逃げ出したくなるだけであった。

そんなとき、2つの出会いがあった。1つは、上水道整備プロジェクトである。水は生きていく上で必要不可欠である。ところが、バングラデシュのように安全な水が安価で安定的に手に入るとは言えない場所では、貧しい人々はときに、安全とは言えない水を利用している。

したがって、貧しい人々が簡単に安全な水へアクセスできるようにする上水道整備は、貧困層の人々の生活の質を向上させるインフラ整備だ。そして、それは他のどのインフラ整備よりも、貧困層の生活の質を「いつか」ではなく「今」良いものにできるものだと、私は思った。インフラ整備を通じて、本当に自分がやりたいことができると気付いた瞬間だった。そのとき初めて、これまでの自分の道のりは決して間違いではなかったと思えた。

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水道管を新設する工事現場

もう1つは、少数民族向けの子供寮である。少数民族は歴史的に排斥されてきたため、経済的に困難な家庭が多い。その寮ではそうした家庭から子供を預かり、学費や生活費を肩代わりし、教育を受けさせている。少数民族の社会的地位を向上させようというこうした活動がある一方で、ときに彼らの家が焼き払われるなどの悲しい事件もいまだに起きている。

そんな事実を知り、また子供たちの眩いばかりの笑顔と目の輝きを目にしたとき、何か力になりたいと思った。話を聞けば、これまで寮から大学に受かった学生が出たことはなく、また高校進学率も高くないそうだ。そこで私は週1、2日補習の先生を務め始め、彼らが苦手な数学や英語の補習を重点的に行った。

さらに、復習の習慣がない、疑問点があっても先生に質問しないなど学習態度にも問題があったため、あるべき学習態度が定着するまで繰り返し指導した。加えて、私の日本帰国後も継続的に教育の質が改善されていくように、現地の有名大学に通う少数民族の大学生を、私費で雇うことにした。

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子供寮の隣の仏教寺にて子供達と

譲れない価値観と決意

「自分は何をしたいのか」、「どんな自分になりたいのか」、「これで本当にいいのか」といった自らの本心から発せられる問いに耳を傾ける。そして、悩みながらも試行錯誤を重ねながらも、それらへの自分なりの答えを探していく。こうして得た答えが、自分にとっての「正しさの基準」であり、これこそが自分の譲れない「価値観」になる。バングラデシュでの半年間を終えて、私はそう強く思うようになっていた。

また、私は決意も新たにしていた。バングラデシュ渡航前は、技術者として途上国のインフラ整備に関わる仕事しか頭になかった。しかし、技術者になるために考えていた院進学をやめ、総合商社に入ることを考え始めていた。そう考えるようになったのには、大きく分けて2つの理由がある。

1つ目は、技術者になった場合、インフラ整備外の社会課題にアプローチをするのが難しくなるからである。ところが総合商社であれば、異なる分野のビジネスを行う部署が社内に多数存在している。そのため他部署との協力を通じて、雇用創出や衣住食・ヘルスケア・教育環境改善等のインフラ整備以外の課題にも、ビジネスを通じて取り組むチャンスを創り出せると思った。

2つ目は、日本のためにもなる仕事がしたいという気持ちが芽生えたからである。社会課題は、当然途上国にのみ存在しているわけではない。これから日本は、経済成長鈍化、高齢化社会、地方の過疎化、格差拡大といった社会課題がますます深刻化していく可能性が極めて高い。そして、今の当たり前の生活の質が当たり前ではなくなる日が、そう遠くないうちに訪れるかもしれない。

日本帰国後、日本で当たり前のように享受できる生活の質の高さに改めて有難みを覚えていた私は、日本国内の問題にも目が向き始め、何とかしたいと思い始めていた。総合商社は戦後から高度成長期そして今日に至るまで、我々の生活に欠かせないエネルギー資源や、食糧、鉄鋼、衣料品などありとあらゆるものの安定的な供給先開拓と輸入業務、日系企業の海外進出支援などを通じて、日本の発展に貢献してきた。

その結果として、私たちの生活の質は現在のような水準まで上がり、また継続的に守られてきた。したがって、総合商社でなら途上国のためだけでなく、日本のためにもなる仕事ができると考えた。

こうして、将来はインフラの技術者になり、途上国でインフラ整備に携わることしか考えていなかった私が、「途上国の貧困を総合的に解決し、同時に日本のためにもなるような仕事をするため」に総合商社に就職することを決意した。

今もこれからも、「そんなこと無理だよ」、「偉そうに言ってるけど何もできていないじゃないか」など色々思われるかもしれない。だけど、それでいい。批判を受けることも、恥をかくことも承知である。それが本当にしたいのなら、してみればいい。誰かの価値基準ではなく、自分の価値基準で生きたいように生きればいい。なぜなら人生は他の誰のものでもなく、自分のものだからだ。

そう思える勇気を私にくれたのが、バングラデシュでの半年間だ。自分を見つめ直すとき、度々バングラデシュの景色が目に浮かぶ。そうして、気付いた。どこかの遠い国が、いつの間にか私にとってとても身近な国になっていた。

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リキシャ(自転車タクシー)の渋滞

石井さんの1回目の記事

石井さんの2回目の記事

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ISHII Tatsunori
ISHII Tatsunori
考えるのと喋るのが好きな理系京大生。総合商社内定者。社会問題解決に強い関心があり、就職後も活動を仕事内外で継続予定。変わっているとよく言われるが、褒め言葉だと思っている。気分屋。

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考えるのと喋るのが好きな理系京大生。総合商社内定者。社会問題解決に強い関心があり、就職後も活動を仕事内外で継続予定。変わっているとよく言われるが、褒め言葉だと思っている。気分屋。