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若林麻衣子(わかばやし まいこ):一般社団法人 世界の子供たちのために CheFuKo総括庶務。大学卒業後、ドイツ国際平和村でのボランティア活動。青年国際協力隊に参加しネパールで幼児教育を行う。現在は福島、チェルノブイリ、ネパールの被災者、子どもたちへの温熱活動などを行う「世界の子供たちのために」で、ネパールの里親制度実現に向けて奮闘中。

世界の途上国で保育の分野を開拓したい!

―今までの経歴を教えてください。

小4から中2まで親の仕事の関係でドイツにいました。その時はそうは思わなかったけれどそこが、自分が国際協力とか海外に視野を見つけた原点なのかなと今は思います。最初の海外でのボランティア活動は大学3年生の春休みに行ったフィリピンの児童養護施設です。

環境整備のボランティアで、子どもたちの生活に必要な道を重機を使わず手作りしたり、建物の補強をしたりしました。大学卒業後はドイツ国際平和村という国が管理している施設で1年間活動しました。内紛で怪我を負った子どもたちが生活する寮で、中東のアフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、グルジア、アルメニア、アフリカのアンゴラの子どもたち200人弱が生活する施設です。

子どもたちは無償でドイツに来て治療を受けてリハビリの期間をドイツ国際平和村で過ごします。私はその中で、5~18歳の女の子達のお世話を全てしていました。

帰国後は、協力隊に行きたかったので2年半保育士をし、協力隊としてネパールに2年間行きました。

終了後もネパールと繋がっていきたいと思い、1年間は人脈を作りながら保育園で働きました。その間にインターン先を見つけて今年の4~5月はアメリカでインターンをしてきました。その会社で就職せず、どうしようかと思ってたところで現在活動している「世界の子供たちのために」に出会い、働き始めました。

青空の下で手遊び

(青空の下でネパールの子供たちと手遊び)

―なぜ途上国へ行こうと思ったのですか?

自分は何でも恵まれ発展している日本という国に生まれたけれど、それはたまたまであって、世界中にはそうではない子もいて、貧しいという状況があります。日本国内では保育の分野をやる人はいるし、システム整っている。だから、私は外で力を発揮できたらなと思ったので。

仕事以上に「家族」を大切にする国、ネパールでの2年間

―協力隊での分野と国と地域、活動内容を教えてください。

ネパールのライトプール群チャンダンプールというところで幼児教育をしました。

現地の就学前から中学2年生までが通う公立学校の就学前教育をメインに子どもたちと先生たちへの指導をしていました。内容としては、簡単に言えば情操教育の普及です。日本の保育園で行っているような遊びながら自分の身の周りのことを出来るようにしたり、気持ちや感情を育てる教育です。

就学前の子たちには外でボール使って遊んだり、歌を歌ったり、はさみ使ってみたり、塗り絵をしたりしていました。2年目は就学前の子たちだけでなく、学校に通う子たちにも日本語や折り紙を教えたり、運動会したりしました。

学校での運動会の様子

(ネパールの学校で開催した運動会の様子)

―日本の子どもたちとネパールの子どもたちの違いはありますか?

あんまり違いはないです。特に就学前の子は、日本もネパールものびのびしていて、元気です。ただ、日本は保育園に通っていれば自分の身の周りのことを全部自分でやらなきゃいけないって言われてるのでそういうことで言ったら日本の子の方ができるのかもしれないです。けれども、純粋さやのびのびさとか本質的なものでは変わらないです。物事に対する柔軟性や、発想力も変わらないです。

―ネパールの1番の魅力を教えてください!!

家族を大切にするところです。家族の輪も広いし、「家族」っていうカテゴリーも日本より広いです。日本では核家族化が進んだり、「家族」と言ったら3世代くらいまでしか言わないけれど、ネパールだと、え~どこまで!?ってくらい広いんです。結婚式とかも招待状来なくても来たい人は来ればいいしといった感じ。(笑)

―協力隊の2年間で自分の中で大きく変化したことは何ですか?

「家族」への価値観の変化はありました。それまで家族について考えることって正直そんなになかったですが、ネパールへ行って、家族の輪が広かったり、家族を思いやる、一人一人を大事にすることを知りました。お祭りや行事も家族が集まってやることが多く、そういう時、日本だと仕事だから諦めることとかあるけど、ネパールでは海外にいたり、どうしても行けない時以外は何があってもみんな集まります。どんなに家が遠くても家族が集まるんです。

ネパールの村の方々と一緒に

(ネパールの大家族と若林さん。)

被災した子どもたちの未来を創っていきたい

―現在はどのような活動をされているんですか?

一般社団法人世界の子供たちのためにCheFuKoという社団法人で働いています。元々は福島で被災された方への活動をしていて、そこからウクライナのチェルノブイリに活動が発展し、今はネパールでの活動も始まりました。

未来を担う子どもたちが幸せである世の中を作るために、子どもたちを取り巻く色んな社会問題を解決させてどういう社会を作っていくかを考え、今は草の根運動として、福島の原発問題で被害にあった子どもたち、大人たちに対して温熱機を使って体をマッサージする温熱活動をメインにしています。

今後は子どもたちを主にしたイベントとかをできたらいいなと思っています。チェルノブイリでは福島で被害にあった子どもたちと現地の小学校とで交流をして、クリスマスカードの交換などをしています。

ネパールでは貧しさゆえに教育を受けられない子どもがたくさんいるので里親制度をしたいと思っています。学校にも通い、子どもたちの将来が導かれるようにしてあげたいです。温熱活動も同時進行に行い、今は被災者対象にしているけれども、そうではない人にも温熱ってものを根付かせていきたいです。

―震災後にネパールへは行かれましたか?

7月半ばに「世界の子供たちのために」として行きました。その時は、現状を知るためと支援対象を探すためにいくつかの学校に行きました。
一見、首都のカトマンズを見ると少しテントは残っていましたが、落ち着いていて、車も走っていますし、前みたいに渋滞もありました。ただ、世界遺産とかは壊れていたし、道路や建物に亀裂が入ってたりするのを見ると、やっぱり地震があったんだなと感じました。人々も話しをすると、「家壊れちゃって」と言うけれど、普段の表情は明るいです。向こうの人は強い、ネパールは強いです。

国に頼れない、いつテントが来るか、いつ何がどうなるかわからないから、自分たちでどうにかするしかないというのが強いのだと思います。

 

支援ばかりしても支援慣れしてしまうので良くない

―今、ネパールに何が必要だと思いますか?

何だろう……やっぱり地震のこと忘れないで、ネパールに行くことですかね。大きい支援はしなくてもいいと思います。支援ばかりしても支援慣れしてしまうので。それよりは、人々の思いを聞いて、サポートをすることですかね。一方的な支援をしても意味がないからと私は思います。

あとは技術的なサポートは必要だと思います。また地震が来たときに崩れない家を建てる技術提供とか。それは国レベルですが、まずは、ネパールという国に対してそういう大きい指導をしていって、そこから住民にそれが落ちていくっていう流れを作っていくサポートが出来ればいいかなと思います。

何が必要かはすごく難しいですが、やはりニーズに合わせて考えてやっていくことが大事です。子どもたちの中には傷ついている子もいるから遊んであげたり、元気づけることも必要ですし、地震があったことを忘れないこともサポートの一つだと思います。観光客が減ってるから、足を運んでお金を落とすこともサポートの一つだとも思います。

ブロックで遊ぶ子どもたち

(ブロックで遊ぶネパールの子供たち)

自分がいつも心がけているのは、一方的にやっていないか、それが本当に現地のためになるのかってことを考えています。今回の里親制度も本当にニーズに合うところにやらなければ意味がないですし。将来的にはそこが自立していくことや、助けが必要な子どもをどうやったら減らせるのかを考えるのも大切です。

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