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サッカーで自分がどこまで通用するか試したい!

―ドイツへのサッカー留学を意識し始めたきっかけは?

僕は海外サッカーを幼い頃からよく見ており、とにかくサッカー大好き少年でした。1番の人生の機転になったのは16歳の高校時代です。当時僕が所属していたクラブに1860ミュンヘンのUNDER19の監督が特別コーチとして来てくださり、1週間のトレーニングをともに行いました。ひたすら自分のサッカーのレベルはここまで通用しないのかというのを実感しました。

またドイツに留学した知り合いの先輩がいて、流暢なドイツ語はもちろん海外の厳しい環境で揉まれ、たくましくなった先輩の姿にものすごく憧れを抱き、「高卒でドイツに行こう!」と思いました。しかしながら現実的な状況から判断して日本の大学に進学することを選び専攻はドイツ語にし在学中に留学するという強い決心のもと入学しました。

飯野多希留(いいのたける)右・・・中央大学文学部ドイツ語文学文化専攻3年。在学中、ドイツリーグ下部組織にて2年間プレーをする。1993年生まれ、東京都出身。趣味は旅行・スポーツ・友人と外食。モットーはスポーツで世界を面白く。

―大学の交換留学という形で留学をしたのでしょうか?

本当は交換留学が経費が一番抑えられるのでその形でドイツに行きたかったのですが協定先の大学に自分が学びたいスポーツマネジメントなどの学部がありませんでした。ですので、その道は諦め休学して個人でサッカーエージェントを通しドイツに行くことを決めました。

中央大学入学後は部活に入るのではなく社会人のチームでサッカーを続けていました。プロ経験がある方も所属していましたし選手を囲む環境が良かったことが理由です。その後ドイツへ準備するために一度そのチームを離れ、空いた期間の4ヶ月は大学のサッカー部に練習参加させていただきました。快く受け入れてくださり大変感謝しています。

ところがドイツへ出発する2ヶ月前、トライアウトに合格して行く予定だったチームが降格してしまい僕の受け入れが難しくなってしまいました。しかしながら幸運にも他のチームからオファーをもらいドイツ人の代理人とコンタクトしながら、2年契約でなんとか所属するチームが決定しました。僕が住んでいた街はメンディクというところで電車が1時間に2本しかない小さな田舎町です。チームはアマチュアリーグでプレーヤーは学生や他の仕事と兼業している人が多かったです。

 

チームの育成責任者であり、ドイツで色々お世話になって父的な存在の人と!

思い通りにいかない海外生活

―いきなり2年間、ドイツの田舎町に日本人がたった1人という生活はつらいこともあったのでは?

最初の方はかなり骨が折れましたね。VISA、住居、住民票、携帯電話すべて自分1人でやりました。その中でもVISAの審査は本当に大変でしたね。ドイツは難民が多く、どうしても審査に時間がかかるみたいなんです。それに昼の12時までしか窓口が開いていなくて、11時55分に行っても、おなかがすいたから今日は休みなんてこともありました(笑)。そんなこんなで2年滞在のVISAを取得するために計15回役所に足を運びました。

また、1ヶ月間家も見つからなくてチームのスタッフの家に居候し、インターネットもなかったのでその間はただサッカーをする毎日でした。その後住居が決まり、現地の語学学校に通うことになりました。学校ではいろんな国籍の人がいましたが、驚いたのは授業中の彼らの発言力です。正直大したこと言ってないんですよね(笑)。

けどめちゃめちゃ自信持って発言する彼らの姿を見て、「俺も負けたくない」って思いました。ドイツ語の文法の前知識は中央大学で学んでいたのでその点ではアドバンテージがありましたが、それでもうまくコミュニケーションを取れないのが現実でした。語学の壁を感じる時が無かったかと言えば嘘になりますが、そんな事よりも生きるのに必死でドイツ語を習得していきました。

語学学校の仲間と寿司パーティー

―サッカークラブのチームメイトとはどのように打ち解けたんでしょうか?

2014年の7月にワールドカップがありましたよね。そこで見事にドイツが優勝しました。このワールドカップでドイツが優勝するという出来事が一気に僕と現地のドイツ人との距離を縮めることに繋がりましたね。一緒にゲームを見てビールで乾杯する。街中は車のクラクションを鳴らし国旗を掲げ、花火を打ち上げたらまたビールを飲むのどんちゃん騒ぎでした。(笑)

また僕が現地で初めての日本人だったらしくまず東京から来たと言うと誰しもがビビってました(笑)。あんな大都会からよく来たな、なんて。日本にみんな興味津々でよく国のことを聞かれました。定番のSUSHIやもちろんドイツで活躍するサッカー日本代表の香川選手の話題などです。チームメイトはアンダーグラウンドで少しやんちゃな気質の人もいましたが、監督のモノマネや得意の下ネタで基本的には良好な関係を築きながらうまくやっていましたね。(笑)

試合にて得点直後の瞬間

―外国人との練習はどうでしたか?

練習中はもちろん試合中は仲間であろうと敵であろうと口喧嘩はよく起こりました。ですがそれも試合や練習が終われば無し。みんなしっかりとその辺の折り合いはつけていました。だから僕も自分の言いたいことはすべてきっちり主張するようにしていました。

練習は基本的に週4回で19時から20時半くらいで、毎週試合が組まれてました。12月後半から2月くらいまでは冬休みがあり、その後練習再開をし8月から公式戦のシーズンに入るという感じです。ちなみに練習に遅刻や忘れ物をすると罰金200円などペナルティーもありました。その分遠征費や生活費などは当然チームから出してもらってましたが。

―試合での成績はどうでしたか?

1年目は僕個人としては守備と運動量で監督から高い評価をいただいていたので全試合に出場することができました。チームは残留争いをしており残り3戦でぎりぎり残留が決まったという感じです。2年目もすべて出場しました。しかしながら途中で監督が代わり、僕も交代出場の機会が多くなり、練習を見てもらえず正直嫌われていると実感しました。

中には辞めてくチームメイトもいました。僕はそんな中でも監督に必死にアピールするようにし、なんとか出場する機会をもらい、チームとしても前年度の成績を上回りました。個人の出場機会は減りましたが、監督とのコミュニケーションの仕方を学んだ年でした。

地元の新聞に掲載される飯野さん

アルバイトとインターンシップにも取り組む積極性!

―アルバイトはされていたのですか?
チームに入ってからすぐ、子供相手のサッカーのコーチのアルバイトを始め、2年目からは知り合いの小学校の先生の紹介で体育コースで講師として働き、レギュラーでは2つ掛け持ちしていましたね。ですが2つとも子供を相手にする仕事なので、ドイツ語での子供とのコミュニケーションには骨が折れました。

小学校では25人の子供たちを担当しており誰かが誰かを殴ったなどで騒動が起きることなんて珍しくありません。子供達は僕が外国人だから言葉の不利があるということを考慮できるはずもなく、会話の思いやりがある大人に比べ意思疎通は大変でしたね。

そのほかにも映画のエキストラにも挑戦しました。口ひげを伸ばしもみあげをカットしてアジア人学生の役やレストランの客を演じたりしましたね。知らない企業のプロモーションにも出ました(笑)。

―インターンシップはどちらでされたのですか?

2015年7月から2016年1月までボルシアメルヒェングラッドバッハというプロサッカーチームの女子チームでマーケティングやマネジメントの業務を担当していました。観客動員のための仕組みとかを知りたくて、いろんなサッカーチームに履歴書を送り、ここに決まりました。仕事内容としてはオフィスワークはもちろん、現場に行ってトレーニングコーチとしてトレーニング計画を作成したり、車を走らせオランダにスカウト業務をしに行ったりしました。ここで得られたことは本当に大きくて刺激的でした。

―総括として、留学で得られたものは何ですか?

ドイツ語とサッカーのスキルは言うまでもなく上達しました。そしてドイツに住むことでスポーツに関する両国の捉え方の違いを学びました。日本のスポーツは体育のような捉え方をされてるのに対し、ドイツは生涯スポーツといった感覚で考えられています。本当にサッカーが老若男女問わず大好きなのだと知りました。

外国の日本とは異なる環境にいる中で、自分の中で何となくコンプレックスも無くなって行きました。それまでは22歳で卒業して就職するレールから脱線すれば不安しか感じないと思っていたのですが、海外で生活をしてみて、用意された場で思考を持たずに従うのではなく、本当に自分がやりたいことをやっていく人生にしたいと思うようになりましたね。


飯野さんが所属するSG Mendigの試合の様子

―最後に留学を希望する学生へ一言お願いします

理由は何でもいいので海外にまず行ってみてください。いろんなアンテナを張れば様々な発見があると思います。そして当然ですが日本でやれることは海外でやるべきではないです。向こうでしかやれないことをリストアップしてみてください。また留学中は”郷に入っては郷に従え”を忘れないようにしてください。

メシはとりあえず出されたら食べてみる、その国民の笑いのツボを抑えて男の子ならもちろん下ネタトークは受け答え可能にしておいた方が正直いいです(笑)。くだらない会話でもそういうことの積み重ねが相手と距離を縮めるきっかけになると思います。

チームの仲間とシーズン最後の試合が終わった後の一枚

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Aki Tajima
Aki Tajima
アジアの新興国・途上国、中米などを旅する学生バックパッカー。海外でのインフラ整備に興味があり、アメリカ留学を経験した後、大手総合電機メーカーに就職予定。
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http://worlli.com/wp-content/uploads/2016/12/S__12640268-500x375.jpghttp://worlli.com/wp-content/uploads/2016/12/S__12640268-120x120.jpgAki Tajimaヨーロッパ海外生活海外留学サッカー留学,ドイツ留学サッカーで自分がどこまで通用するか試したい! ―ドイツへのサッカー留学を意識し始めたきっかけは? 僕は海外サッカーを幼い頃からよく見ており、とにかくサッカー大好き少年でした。1番の人生の機転になったのは16歳の高校時代です。当時僕が所属していたクラブに1860ミュンヘンのUNDER19の監督が特別コーチとして来てくださり、1週間のトレーニングをともに行いました。ひたすら自分のサッカーのレベルはここまで通用しないのかというのを実感しました。 またドイツに留学した知り合いの先輩がいて、流暢なドイツ語はもちろん海外の厳しい環境で揉まれ、たくましくなった先輩の姿にものすごく憧れを抱き、「高卒でドイツに行こう!」と思いました。しかしながら現実的な状況から判断して日本の大学に進学することを選び専攻はドイツ語にし在学中に留学するという強い決心のもと入学しました。 飯野多希留(いいのたける)右・・・中央大学文学部ドイツ語文学文化専攻3年。在学中、ドイツリーグ下部組織にて2年間プレーをする。1993年生まれ、東京都出身。趣味は旅行・スポーツ・友人と外食。モットーはスポーツで世界を面白く。 ―大学の交換留学という形で留学をしたのでしょうか? 本当は交換留学が経費が一番抑えられるのでその形でドイツに行きたかったのですが協定先の大学に自分が学びたいスポーツマネジメントなどの学部がありませんでした。ですので、その道は諦め休学して個人でサッカーエージェントを通しドイツに行くことを決めました。 中央大学入学後は部活に入るのではなく社会人のチームでサッカーを続けていました。プロ経験がある方も所属していましたし選手を囲む環境が良かったことが理由です。その後ドイツへ準備するために一度そのチームを離れ、空いた期間の4ヶ月は大学のサッカー部に練習参加させていただきました。快く受け入れてくださり大変感謝しています。 ところがドイツへ出発する2ヶ月前、トライアウトに合格して行く予定だったチームが降格してしまい僕の受け入れが難しくなってしまいました。しかしながら幸運にも他のチームからオファーをもらいドイツ人の代理人とコンタクトしながら、2年契約でなんとか所属するチームが決定しました。僕が住んでいた街はメンディクというところで電車が1時間に2本しかない小さな田舎町です。チームはアマチュアリーグでプレーヤーは学生や他の仕事と兼業している人が多かったです。   思い通りにいかない海外生活 ―いきなり2年間、ドイツの田舎町に日本人がたった1人という生活はつらいこともあったのでは? 最初の方はかなり骨が折れましたね。VISA、住居、住民票、携帯電話すべて自分1人でやりました。その中でもVISAの審査は本当に大変でしたね。ドイツは難民が多く、どうしても審査に時間がかかるみたいなんです。それに昼の12時までしか窓口が開いていなくて、11時55分に行っても、おなかがすいたから今日は休みなんてこともありました(笑)。そんなこんなで2年滞在のVISAを取得するために計15回役所に足を運びました。 また、1ヶ月間家も見つからなくてチームのスタッフの家に居候し、インターネットもなかったのでその間はただサッカーをする毎日でした。その後住居が決まり、現地の語学学校に通うことになりました。学校ではいろんな国籍の人がいましたが、驚いたのは授業中の彼らの発言力です。正直大したこと言ってないんですよね(笑)。 けどめちゃめちゃ自信持って発言する彼らの姿を見て、「俺も負けたくない」って思いました。ドイツ語の文法の前知識は中央大学で学んでいたのでその点ではアドバンテージがありましたが、それでもうまくコミュニケーションを取れないのが現実でした。語学の壁を感じる時が無かったかと言えば嘘になりますが、そんな事よりも生きるのに必死でドイツ語を習得していきました。 ―サッカークラブのチームメイトとはどのように打ち解けたんでしょうか? 2014年の7月にワールドカップがありましたよね。そこで見事にドイツが優勝しました。このワールドカップでドイツが優勝するという出来事が一気に僕と現地のドイツ人との距離を縮めることに繋がりましたね。一緒にゲームを見てビールで乾杯する。街中は車のクラクションを鳴らし国旗を掲げ、花火を打ち上げたらまたビールを飲むのどんちゃん騒ぎでした。(笑) また僕が現地で初めての日本人だったらしくまず東京から来たと言うと誰しもがビビってました(笑)。あんな大都会からよく来たな、なんて。日本にみんな興味津々でよく国のことを聞かれました。定番のSUSHIやもちろんドイツで活躍するサッカー日本代表の香川選手の話題などです。チームメイトはアンダーグラウンドで少しやんちゃな気質の人もいましたが、監督のモノマネや得意の下ネタで基本的には良好な関係を築きながらうまくやっていましたね。(笑) ―外国人との練習はどうでしたか? 練習中はもちろん試合中は仲間であろうと敵であろうと口喧嘩はよく起こりました。ですがそれも試合や練習が終われば無し。みんなしっかりとその辺の折り合いはつけていました。だから僕も自分の言いたいことはすべてきっちり主張するようにしていました。 練習は基本的に週4回で19時から20時半くらいで、毎週試合が組まれてました。12月後半から2月くらいまでは冬休みがあり、その後練習再開をし8月から公式戦のシーズンに入るという感じです。ちなみに練習に遅刻や忘れ物をすると罰金200円などペナルティーもありました。その分遠征費や生活費などは当然チームから出してもらってましたが。 ―試合での成績はどうでしたか? 1年目は僕個人としては守備と運動量で監督から高い評価をいただいていたので全試合に出場することができました。チームは残留争いをしており残り3戦でぎりぎり残留が決まったという感じです。2年目もすべて出場しました。しかしながら途中で監督が代わり、僕も交代出場の機会が多くなり、練習を見てもらえず正直嫌われていると実感しました。 中には辞めてくチームメイトもいました。僕はそんな中でも監督に必死にアピールするようにし、なんとか出場する機会をもらい、チームとしても前年度の成績を上回りました。個人の出場機会は減りましたが、監督とのコミュニケーションの仕方を学んだ年でした。 アルバイトとインターンシップにも取り組む積極性! ―アルバイトはされていたのですか? チームに入ってからすぐ、子供相手のサッカーのコーチのアルバイトを始め、2年目からは知り合いの小学校の先生の紹介で体育コースで講師として働き、レギュラーでは2つ掛け持ちしていましたね。ですが2つとも子供を相手にする仕事なので、ドイツ語での子供とのコミュニケーションには骨が折れました。 小学校では25人の子供たちを担当しており誰かが誰かを殴ったなどで騒動が起きることなんて珍しくありません。子供達は僕が外国人だから言葉の不利があるということを考慮できるはずもなく、会話の思いやりがある大人に比べ意思疎通は大変でしたね。 そのほかにも映画のエキストラにも挑戦しました。口ひげを伸ばしもみあげをカットしてアジア人学生の役やレストランの客を演じたりしましたね。知らない企業のプロモーションにも出ました(笑)。 ―インターンシップはどちらでされたのですか? 2015年7月から2016年1月までボルシアメルヒェングラッドバッハというプロサッカーチームの女子チームでマーケティングやマネジメントの業務を担当していました。観客動員のための仕組みとかを知りたくて、いろんなサッカーチームに履歴書を送り、ここに決まりました。仕事内容としてはオフィスワークはもちろん、現場に行ってトレーニングコーチとしてトレーニング計画を作成したり、車を走らせオランダにスカウト業務をしに行ったりしました。ここで得られたことは本当に大きくて刺激的でした。 ―総括として、留学で得られたものは何ですか? ドイツ語とサッカーのスキルは言うまでもなく上達しました。そしてドイツに住むことでスポーツに関する両国の捉え方の違いを学びました。日本のスポーツは体育のような捉え方をされてるのに対し、ドイツは生涯スポーツといった感覚で考えられています。本当にサッカーが老若男女問わず大好きなのだと知りました。 外国の日本とは異なる環境にいる中で、自分の中で何となくコンプレックスも無くなって行きました。それまでは22歳で卒業して就職するレールから脱線すれば不安しか感じないと思っていたのですが、海外で生活をしてみて、用意された場で思考を持たずに従うのではなく、本当に自分がやりたいことをやっていく人生にしたいと思うようになりましたね。 飯野さんが所属するSG Mendigの試合の様子 ―最後に留学を希望する学生へ一言お願いします 理由は何でもいいので海外にまず行ってみてください。いろんなアンテナを張れば様々な発見があると思います。そして当然ですが日本でやれることは海外でやるべきではないです。向こうでしかやれないことをリストアップしてみてください。また留学中は”郷に入っては郷に従え”を忘れないようにしてください。 メシはとりあえず出されたら食べてみる、その国民の笑いのツボを抑えて男の子ならもちろん下ネタトークは受け答え可能にしておいた方が正直いいです(笑)。くだらない会話でもそういうことの積み重ねが相手と距離を縮めるきっかけになると思います。 【関連記事】 ・ミスコン候補者が見たウガンダの現実。 ・イギリス英語をエマ・ワトソンのインタビューで勉強 ・アフリカ留学で気づく!「貧困=可哀想」だけではないということ。 ・日本のすごいところは何?外国人から見た50選 ・バングラデシュで苦悩し、譲れない価値観と決意に 辿り着いた京大生(1/3)Just another WordPress site